2005年08月23日
劇場版 鋼の錬金術師
残念ながら映画としては面白くなかった。
作品としては個人的思い入れもあるし、スタッフがスタッフだけに期待していなかったというとウソになるのだが。
続編的内容であり、冒頭のキャラクターの置かれた状況が複雑で、しかも売りである錬金術を使えない、という状況が非常に困難であるのはわかるのだが、
だからこそ、あまり焦点がしぼれておらず、段取りが悪く状況が分かりづらいのが致命的に。
作画は、アバンや中村豊さんパートなど、見所はあったのだがちょっとボリューム不足で食い足らない感が残る。
また、同様の見所はTV本編にもあったので、TVを上回る印象では無く、逆に「ん?」というマイナスなところに目がいってしまった。
(逆説的にTV鋼のクオリティーの高さを証明しても要るわけだが)
先のNARUTOと連荘でみたので、尊敬する人やお世話になった方大量投入なのに、正直双方よいとは言えず、
ちょっとダメージを受けてしまった。
そんな横で、客の半数を占める婦女子の人々が、かなりヒートアップしており、終幕後、お気に入りのキャラが存命だったのか
女子同士で「グッジョブ!」と称えあっていた。
それは用法間違えてるし、この映画でグッジョブなのは中村さんとか逢坂さんとか!!
と激昂しそうになったが、抵抗に成功。
以下ネタバレ感想
異世界に離れ離れになり、錬金術を奪われた世界で生きる、ということが「罰」なわけだから、「贖罪」の、「開放」の物語にすればよかったのではないだろうか。
もう一度罪を犯し、さらに贖罪するというのはなんともややこしい。
ラストにたった一度の奇跡がおき、一瞬の兄弟の再会。そんくらいでよかったのでは。
ファンタジーが、突如ああいう形で、現実にコミットしたらダメだなあ、と再確認。
と同時に、実は現実の世界でした、というのはファンの願望充足であり、うまくできているのでは?と言う気も。
エドというキャラは、自分の無力さを悩んでいて、かつ毎回誰も救えず、しかもチビといわれると怒ったりと人間くさい「記号」も付けてある。
しかし半面達観していて、凄く大人だ。
ここら辺が実に上手い構造だと、いつも感心していたのだが、ここにいたってそのマイナス面が出てしまった印象。(つまるところ女性の作った理想像的キャラだからだろう。だから売れたのだが)
本質的人間臭さが無く、動機が不明確で、巻き込まれ型の物語になってしまっている。
凄く思ったのは、エドがジプシー少女と寝てしまわなきゃだめだろう!ってところだ。
「故郷が無い孤独」で共感し引かれあい、「故郷に戻る」という当ての無い目標から逃れ(故郷に女がいるのに)同棲しちゃう人間的弱さが無きゃ!
それなら、その後の記憶を盗まれる展開もすんなりいくし(笑)
戻るという展開も、この世界で生きるという決意も、ジプシー少女との恋愛を中心に据えればクッキリ描けたと思うのだが。
あと、ウィンリィがアルと出来てれば良かったのに。(エルリック兄弟はウィンリィちゃんを大事にし無さすぎだ!!)
ナチだの差別だのというのが凄く蛇足で、その尺でドラマをやって欲しかった。
「故郷が欲しかった」という動機も分かり難い。
非錬金世界のアルの「この世界はあなたの夢じゃない」という主張も分かりづらい。
つまり押井守の180度反対のことがテーマなんだろうか?
現実と夢は等価ではない!現実は現実として受け止めて生きろ!という。
西洋的町並みからか、スタジオからか、スタッフからかの連想なのか、富野さんならうまくやるだろうなあ、とぼんやりおもったりした。
Trackback on "劇場版 鋼の錬金術師"
このエントリーのトラックバックURL:
"劇場版 鋼の錬金術師"へのトラックバックはまだありません。
"劇場版 鋼の錬金術師"へのコメントはまだありません。